僕は、木が好きです。
あまりにも深くて薄暗い森は怖いので嫌いですが、適度に木漏れ日のさす、落葉樹の新緑の森は大好きです。
そして、ある日ふと思ったんです。
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木って大きいなあ、何十メートルもあって人間よりはるかに大きい。
しかも、人間の寿命なんかよりはるかにずっとずっと長生きするんだよなあ~って。
屋久島の縄文杉は7000千年とも言われていますが、最近では2000年位とも言われています。
どちらにしても何千年も生きているって凄すぎますよね。
貴方のお庭に何か木を一本植えたとしましょう。
そして、そのお庭がお寺や神社など、長期的にその木を切らなくてもすむ場所だったとします。
その木は、植えた人の子供の子供、そのまた子供と何世代にもわたり、世の中もまるっきり変わってしまうほどの年月を生き、その木の下でいろんな世代の人に木陰を作ったり、時に美しい紅葉を見せてくれたり、動物や昆虫に餌を与えたりします。
そんな風に、大きさも、時代も、超えるスケールの木ですが、
木は、種が風で運ばれたり、鳥に運ばれたり、時に人間が植えたりして地面に定着します。
木は自分で、ここで生きたいと言って自分の生きてゆく場所を決めることができません。
そして、木は自分で動けません。
なので、動物や鳥、昆虫、魚、などなどのように自分で動き回って食料を得ることも出来ません。
ただ、じっとたまたま根付いた場所で、根付いた場所の土と空気、太陽の光と水だけで生きてゆきます。
何故、木も人間や動物、昆虫などと同じ地球上の生き物であるとしたら、そのように生きてゆけるのでしょうか?
自分で動かず、ただ、根付いた地上にあるものを受けてゆくだけで、何千年も生きてゆける。
確かに、全ての木ではありません。台風で倒れたり、虫に食われてしまったり、様々な理由で途中で枯れてしまう木が多いことでしょう。
それにしても、木が生きてゆく姿を見ていると、地球そのものに接続されて、地球そのものの機能として動いている(生きている)という風に感じることがあります。
人間を含むあらゆる動物に含まれているミトコンドリアは、人間のDNAとは別にミトコンドリアDNAというものが別に存在し、ある意味人間や動物の細胞の中で、違う生命体が共存しているような状態です。
そんな風に、地球にとって木(植物)はミトコンドリアみたいなものにあたいすいるのかもしれないと感じます。
地球がただの岩の固まったものであるとしたら、木は必要ないと思います。
しかし、地球には様々な生命体が存在します。
人間の中に、ミトコンドリアやいろんな有用なバクテリアが住んでいて、それらのおかげで人間が生命体として活動できるように、地球の中に住んでいる、木や植物、動物やもちろん人間も地球という生命体を構成する一部なんだと感じています。